きょうどう-2023年 No.44 救い主への疑い
尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
マタイによる福音書 第11章3節
洗礼者ヨハネは領主ヘロデに捕らえられて、牢獄の中にいました。そこで深い疑問に苦しんでいました。自分が、イエスこそメシアであると声高らかに証ししたのに、弟子たちを通して伝えられる、イエスのなさったみわざを聞く度に、イエスがメシアであることが、ぐらついてきたのです。なぜかと言うと、イエスの実際になさっているみわざや言葉は、ヨハネの思い描き、実際に口に出して語って来た救い主のあり方と違っているからです。
ヨハネが語ったメシアは、自分のあとに来る方、厳しく神の裁きをなさる方だと伝えていたのです。罪を糾弾する厳しいキリストです。しかし、このイエスは決定的な裁きをお語りにならない。メシアの到来にふさわしい驚くべき出来事が起こっていない。このイエスは、自分がひたすら求めていたメシアであろうか、その疑問を、ヨハネの弟子たちを通して、イエス自身に問うたのです。
イエスの答えは、「行って、自分たちが見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き…貧しい人は福音を告げ知らされている。」このような驚くべき出来事がイエスにおいて実際に起こっていることに目を留めよと、イエスは言われます