きょうどう-2023年 No.33 罪びとを招くイエス
『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マタイによる福音書 第9章13節
医者を必要とするのは丈夫な人ではありません。健康な人は、自分の体を医者に診察と治療をしてもらう必要はないと思っています。医者を必要とするのは、自分には病気であると気づく人です。
主イエスは、自分は大丈夫だ、身を清く保とうとして神の前に正しくあろうとしているファリサイ派の人たちこそ、霊的な医者が必要だと言われたのです。しかし、彼らファリサイ派の人たちは、自分に医者が必要だと気づいていなかったのです。なぜなら彼らは、聖書に従って聖なる者となろうとして、罪人と交わらないように努力していたからです。
主イエスは、彼らに「わたしが求めるのは憐みであって、いけにえではない」という言葉の意味を学べと言われました。これは旧約聖書ホセア書6:6の70人訳の言葉です。その意味は神に対する真実な心こそ神の御心に適うことだというのです。ファリサイ派の人々の関心は祭儀的に身を清く保つことでしたが、神の望まれるのは憐みです。主イエスはまさにその憐みを注ぐために地上に来られたのです。
自分は大丈夫、医者はいらないと言えるでしょうか。私たちには罪があり罪人です。この罪人を招き救うために主イエスは来られたのです。