2020年3月29日 礼拝説教要旨

 一粒の麦  

三好 晴夫 牧師

ヨハネによる福音書 第12章20-36節 

 

主題聖句:はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

                    ヨハネによる福音書 第12章24節

 

ユダヤの過越祭の時、エルサレムに多くの人々が集まる中に、何人かのギリシア人が来ており、彼らが主イエスの弟子の一人フィリポに声をかけ「イエスにお目にかかりたいのです」と申し入れたのです。彼はアンデレと共に主イエスのもとに行き、ギリシア人の申し出を伝えたところ、主イエスはこう答えられたのです。「人の子が栄光を受ける時が来た」。今までは主イエスはことある毎に、「わたしの時は来ていない」と言われていたのに、ここに至って「時が来た」と言われたのです。「人の子」すなわち、主イエスは救い主として栄光を表わす時が来たというのです。外国人が主イエスのもとに訪ねて来てイエスにお目にかかりたいと求めたことは、とても重要な意味を持っています。外国人にも主イエスによって救いの恵みが現される、そのような栄光が表わされる時がきたと言われたのです。

 

では、どのような栄光を主イエスは受けられようというのでしょうか。それに続く主イエスの言葉が、上記の言葉「一粒の麦」のたとえです。このたとえを通して大切なことを伝えてこられます。主イエスご自身、多くの実を結ぶようになるために、一粒の麦としてご自分の命を捨てられるのです。すなわち、ご自身が多くの人の救いのために一粒の麦として身代わりの死を成し遂げられ、栄光を現されるのです。そして、私たちにご自身の愛を示すとともに、命がけで主に従うよう招かれるのです。

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