2017年2月19日 礼拝説教要旨

何をしてほしいのか

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第10章46-52節

主題聖句:イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。  

マルコによる福音書1051

 

主イエスは、エリコを出て、いよいよ都エルサレムに向かって進もうとされたとき、その道で盲人のバルティマイが物ごいをしていました。彼はナザレのイエスと知って「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び続けたのです。イエスを「ダビデの子」と言ったのは、昔ダビデ王に約束された、ダビデの子孫から救い主が起こされ、ユダヤを救ってくださるとの約束を信じたからです。彼は、イエスを、約束の救い主と信じて、このように叫び、憐れんでくださいと懇願したのです。

 

その必死な叫びが主イエスに届き、彼は呼ばれました。彼は上着を脱ぎ捨て、主イエスの所に来たら、主イエスから「何をしてほしいのか」と問われました。その時、彼ははっきりと「先生、目が見えるようになりたいのです」と答えました。彼は、長い間目が見えない状態が続くうちにもう不可能かと思っていたでしょう。でも目が見えるようになりたいという願いを、今、主イエスに求めたのです。主イエスをまことのメシアと信じてお願いしたのです。その願いは、目が見えるようになったらそれでいいと言うことではなかったはずです。目が見えるようになって、目の前におられる憐れみ深い主イエスを見て、ついて行きたいということでありました。

 

主イエスは、彼の目を見えるようにして下さいました。私たちも主イエスを見せてください、救って下さいと祈るなら、そうしてくださるのです。

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