2016年12月4日 礼拝説教要旨

 贖う者が来られる

三好 晴夫 牧師

イザヤ書 第59章12-20節

主題聖句:「主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると/主は言われる。」        イザヤ書第5920

                               

私たちはこんなに頑張っているのに、どうして神からの祝福が自分にないのか。こんなに祈っているのに、神は聞いて答えてくださらないのか。このような問いを私たちがすることがあります。そういう時、まさか、自分に問題があるとは、全く考えていないのはないでしょうか。

 

しかし、預言者イザヤは、59章1,2節で、お前たちが祝福されていないのは、神に能力がないからではなく、神とお前たちとの間にある罪が隔てとなって、神の御顔を隠させて、祈りが届いていないのだというのです。

 

ですから、私たちの中にある罪、すなわち、神に背き、神を信じない思いが神と私たちとの間を隔てているというのです。

 

今の私たちもそうですが、預言者イザヤの時代にも、人々は隣人へ暴力を振るったり、圧力で人々を押さえつける政治を行ったりしていたのです。偽りを平気で語って悪事をつぶやいていた。真実をもって弁護する者もない、ひどい状態でした。光もなく、暗黒の中を歩いているような状態でした。今の私たちの住む世界も、権力者の思うがままに政治が行われ、弱い立場の権利が踏みにじられて、正義がなくなって、信頼も誠実も壊れています。

 

この状態を神様はどうご覧になっているでしょうか。主はその状態に驚かれ、御自分の御腕によって救いの業を行われるのです。主は正義の神として、人の業に従って報いをなさいます。同時に、主は人々を罪から贖う者でもあられます。このような主こそ私たちの主である、と預言者が示しています。

 

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