2015年2月8日 礼拝説教要旨

主に魂をゆだねて

 

政所 邦明 牧師

 

ペトロの手紙一 第4章17-19節

 

主題聖句:「今こそ、神の家から裁きが始まる時です。」

(ペトロの手紙一 第419) 

 ここで用いられている「時」は“ちょうどこのタイミング”“ドンピシャ”を意味する言葉が用いられています。どのような時でしょうか?その時には万物の終わりが迫り、緊迫感が伴うのです。(4:7)また、その時にはキリスト者の身に試練がふりかかります。(4:12)

「裁き」とは有罪として罰を与える、懲らしめるというのではありません。むしろ、その全段階の裁判を意味します。つまり正邪2つに選り分けるということでしょう。信仰者にとって試練は金属の〝精錬〟になぞらえられます。(1:7)高熱で溶かされ、金粕の部分と純度100%の金属とに分けられます。単に純粋なだけではありません。鎚で打たれて鍛えられる鋼に似ています。「裁き」は「鍛錬」なのです。

 

「裁き」はキリスト者をさらに神ご自身の清さにふさわしく整えて、さすがに神様のものにされたと言われるようにしてくださることです。それは品性が向上したとか、今までになかった技量が急に身につくということではありません。「聖徒」とはキリストのものとされた人という意味であって、高潔の人物ということとは違います。神様から深く愛されていることを知るようになる…それこそが「裁き」の成果なのです。日本語から連想するのとはずいぶん違います。試練とか苦難は神さまとの信頼関係、絆を強くします。それこそが試練の真価と言えるでしょう。「裁き」は精錬です。「裁き」は刑罰以外にこんなにも積極的意味があるのです。

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