2014年9月7日 礼拝説教要旨

政所 邦明 牧師

 

「レビの召命」

 

エレミヤ書 第1章4-10節

マルコによる福音書 第2章18-22節

主題聖句:「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」            マルコによる福音書 第2章17節 

                                   

再び主イエスは湖のほとりに出て行かれます。以前、湖のほとりで4人の漁師を最初のお弟子として招かれました。このような場所で主イエスは誰かとの新たな出会いをなさるのでしょうか。4人の漁師はごく普通の善良な労働者です。漁師という職業のゆえに、〝罪人〟と後ろ指をさされ、非難されることはなかったでしょう。4人が弟子とされる時、彼らが神の前にどのようであるか、“清くて汚れのない”人たちであるかどうかは問題にされません。「従って来なさい」と主イエスが声をかけられたから、従っただけです。

 

ところが重い皮膚病の人(マルコ1:40)も徴税人も、その病の性質や職業からして、当時の社会から〝罪人〟だと決めつけられ、蔑まれた人々でした。確かに同胞から血税を搾り取り、外国のローマ帝国に徴税人は上納します。ついでに役得と称して“上前もはね”るのです。だから、この人達がユダヤ社会の〝敵〟または〝仇〟とみなされても仕方がないのかもしれません。ユダヤ人の掟からすれば、徴税人は毛嫌いされるでしょう。しかし、4人の漁師たちやファリサイ派の律法学者に比べて、徴税人は神の前にことさらに罪が深いのでしょうか。そんなはずはありません。神の前には皆等しく罪深いのです。そのような人間すべてを救うために、主イエス・キリストは来てくださいました。「罪人を招くためにきた」と言われます。「自分は良いことをしない代わりに、神に裁かれるほどの悪いこともしない人間だ」と自分のことを思っています。しかし、その私たちに神の前における姿を突きつけ、「そのあなたを救うために来た」と主イエスは言われるのです。

 

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