2014年6月15日 礼拝説教要旨

神の訓練

 

政所 邦明 牧師

 

サムエル記下 第19章32-40節

ヘブライ人への手紙 第12章1-11節

 

主題聖句:「力を落としてはいけない。…主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」

へブライ人への手紙 第12章6

                                    

イスラエルの王とするために神はダビデをお選びになりました。しかし、選ばれた人物であっても罪を犯す点ではわたしたちと何ら変わるところはありません。豊かな才能は、そのままでは神に用いられなかったのです。神の御業にふさわしく訓練を受け、整えられていきます。刀鍛冶が鋼を鍛えて、見事な刀剣に仕上げてゆく様子を想像しました。何度も打ち据えて、炭火で熱しては急激に水に浸け、「焼入れ」を繰り返します。その工程で、鉄は不純物が取り除かれ、ポキリと折れない、しなやかで粘り強い、性質を獲得して行くのです。そのように神からの訓練を受けないで、神の御業、(神の働き)のために用いられることはありません。

 

ダビデは王の位に就き、全部合わせて、40年間、統治いたします。その間、紆余曲折がありました。神の期待に叶う王になるためにどれほど涙を流し、冷や汗をかき、悲しみと苦しみを乗り越えてきたことでしょう。そして苦しみの果てにやっと神の御心に叶う王となって行くのです。

 

志願して特訓を受ける運動選手もいます。しかし、私たちは、生きていると予期せぬことに出会います。神の方から試練をお与えくださるのです。人生の試練が“学び舎” で、その学校で、自分に絶望し、神に導かれ、委ねるように鍛えられてゆくのです。「鍛錬は当座、喜ばしいものではなく、悲しいものに思える。しかし、後になって鍛え上げられた人に平安な義の実を結ばせてくださる」とヘブライ人への手紙は申します。(12章11節)訓練の結果、ダビデは神の前に“それで善い”といってもらえる器となるのです。

 

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