2012年12月23日 クリスマス礼拝黙想(本日の説教とは関係ありません) 

政所邦明牧師

 

主題聖句:「民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを不思議に思っていた。」    

ルカによる福音書  第1章21節

何千人もいる祭司の中から、神殿で香を焚く務めにザカリアはクジで当たりました。一生に一度あるかないかの貴重なチャンスです。緊張して、落ち度なく儀式を執り行おうとして必死だったことでしょう。しかしうっかりすると、一連の儀式を滞りなくこなすことばかりに気を取られて、神ご自身を見失う過ちに陥る事だって起こりえます。

そのような人間の業を中断させ、神殿の中で、ザカリアに神が現れてくださったのです。神殿は一番神に会えそうな場所です。そもそも香を焚いて礼拝を捧げるのは神と出会うためではないのでしょうか。ところが実際に神が現れてくださると、ザカリアは信じられません。おかしなことです。

神の業は人間の儀式の手順の中に押し込められるものではありません。人間の思いとは異なります。神がはじめからご計画になり、ここぞと言う決定的なときにご自分の判断で介入してこられるのです。人間にとっては驚き怪しむ出来事です。しかし、受け入れる以外にはありません。

時が来れば必ず実現するはずの神の言葉を信じなかったために、ザカリアは息子ヨハネの誕生まで言葉を失います。その間不自由を強いられる一方で、神がお語りになった言葉を何度も何度も心の中で繰り返す貴重な時間ともなりました。この時間があったからこそ、定めの時間が過ぎたとき、舌がほどけ、讃美の言葉が口をついて出てきたのです。

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