2012年2月12日 礼拝説教要旨

主題聖句 「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって…何とかして死者の中からの復活に達したい」

フィリピ 3章10節

説教主題「キリストの義」

  パウロはキリストを信じる、あるいはキリストを愛するという事を「キリストを知る」という言い方をします。キリストだけではありません。「その復活の力」を知るのです。力とはダイナマイトのもとになった言葉で「爆発する力」を表します。土砂崩れが起こり、トンネルの出入り口が落石で塞がれたとします。十分に安全性を確認し、ダイナマイトを用いられることがあります。救出に一刻を争う場合に瓦礫撤去に大きな威力を発揮するでしょう。主イエスのご復活にはそのようなエネルギーが秘められているのです。

  復活の力は第一に死を爆破します。さらに死を打ち破ることによって罪を打ち滅ぼします。人間をがんじがらめに縛っていた罪の力は並大抵のものではありません。「復活の力を知る」とはキリストが私たちを捉えている死と罪を打ち破られるとわかることなのです。

  私たちは相変わらず罪を犯します。それでも罪が支配者ではなく、罪に代わってイエス・キリストが私たちの主人となってくださるのです。

  すべてを清算して全く新しい人間になりたいと思うことはないですか。しかし、自分に与えられた能力・環境・性格は大体決まっており、今の自分からは抜け出しようがありません。だから新しくなりたいと思うし、また同時にそれは難しいとも感じてしまうのです。職業を変え、家族との関係を断ったところで新しくなりません。イエス・キリストの復活の力のような全てを爆破して打ち破る力が必要なのです。

2012年2月5日 礼拝説教要旨

主題聖句 「熱心の点では教会の迫害者…しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。] 

                       

フィリピの信徒への手紙 第3章6節7節

 

説教主題「神の憐れみの手本」

  パウロは自分の律法に対する熱心さを表す物差しとして「教会を迫害する者である」と申しました。それが誇りだというのです。このような言い方に対しては抵抗を感じます。いじめるのは良くありません。ましてやそれを自慢するなどひどい話です。しかし、福音を信じるキリスト者たちをユダヤ人の指導者や律法を信奉する人々は自分たちの宗教を破壊するけしからん者たちだと考えていました。何とかそのような悪影響を食い止めなければなりません。律法に熱心であり、自らの宗教を守る真面目さの現れがキリスト者たちを潰すことだと考えていたのです。

   そのパウロはキリ スト者たちを迫害していたさなか、180度変わります。信じる者たちを懲らしめるとは結局、大本におられる主イエス・キリストに歯向かうことです。その攻撃をしていた主イエスにお目に掛かったのです。このところの経緯について使徒言行録には3度も記述してあります。(9章、22章、26章)パウロの個人的な経験としてだけでなく、キリストの教会にとっても余程大きな出来事であったに違いありません。

   パウロはこの主との出会いを「主キリスト・イエスを知る」と表現します。滅ぼそうとするパウロを〝返り討ち〟にするどころか、限りない憐れみをもって近づき、赦して救ってくださったのです。そのような「愛の主イエス・キリストが分かった」と言って心から喜んだのです。