2012年1月1日 礼拝説教要旨

主題聖句  
「8日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた」


ルカによる福音書 第2章21節

説教主題「その名はイエス」

   新しい年も、皆様の上に祝福がありますように。昨年は主日のクリスマス礼拝が12月25日降誕日と重なりました。2006年以来のことです。25日も含め8日目は1月1日となり、元旦と共に教会の暦では「主の命名日」などと呼ばれます。①ルカによる福音書によれば、マリアに、②マタイによる福音書によればヨセフに、「生まれてくる子供には『イエス』と名を付けなさい」と天使が告げます。新生児に名前を付けるのは両親の特権でも、また喜びでもあるでしょう。赤ちゃんの名前に親の思いや願いを込めるものです。しかし、主イエスの場合は、神の命令とご意志が最優先されました。この子にどのような人になって、どのような使命を果たして欲しいか、神のお考えが込められています。「イエス」とはヘブライ語では「ヨシュア」に当たります。その意味は「主は救いたもう」というのです。(マタイによる福音書第1章21節では)この子は「自分の民を罪から救う」から「イエス」と名づけよと天使がヨセフに夢の中で命じました。
「イエス」は当時長男によく付けられ名前です。同じ地域にも何人もこの名前の人がいたことでしょう。しかし、聖霊によってマリアの胎内を通して与えられた赤子は「イエス」が本来表している文字通りの意味を表しています。当時としてはごくありふれた名前をつけたようでありながら、実は神がその命名を通して、この赤ちゃんが生涯をかけてどのような使命を果たすかを明らかにされたのです。

2011年12月25日 礼拝説教要旨

主題聖句  「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので彼らは非常に恐れた。」

ルカによる福音書 第2章9節

説教主題「万民のための福音」

  「彼ら」とは「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番を」している羊飼いたちです。王宮に住む国の支配者や宗教指導者たちではなく、羊飼いたちがまず、キリストの誕生の知らせを聞きました。当時のユダヤ社会は農業と牧畜とで成り立っています。羊飼いは大切な仕事です。しかし、どちらかというと軽蔑されていました。人口調査のため、人々が自分の町に帰っている時も、羊飼いたちは普段通りに羊の世話をしています。人口調査の目的は課税対象者をハッキリさせ、きっちりと取り立てようとするものです。すると羊飼いは納税義務も免除されていたということでしょうか。確かに羊を追って、その時その時でどこにゆくかわからない人々に「生まれ故郷へ帰って住民登録をせよ」と命令しても、無意味なことです。社会行事に参加することを期待されず、ひたすら夜勤を続ける羊飼いたちは過酷な労働条件に喘ぎ、羊たちを守らなければなりません。
しかも、この人たちをとり巻くのは夜のとばりです。暗闇は死の臭がします。羊を狙う猛獣の遠吠えが聞こえていたとしたら、ぞっとします。生活も楽ではなかったでしょう。〝お先真っ暗〟という日常と将来を闇夜は象徴しているかのようです。社会から相手にされなかったような羊飼いに神の御使は近づいてゆきました。そして救い主の誕生を告げます。暗闇に生活する者たちをまばゆいばかりの神の栄光の輪が包みます。

―人々に希望の光が灯る―これこそが最初のクリスマスなのです。

2011年12月18日 礼拝説教要旨

主題聖句

「わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせた。」

イザヤ書第53章6節

説教主題「探し求める神」

   主イエスはご自分がなさった例え話の中で、「百匹の羊を持っている人も、もしその内の一匹がいなくなってしまったら、見つかるまで探さないであろうか」と言われました。羊は迷いやすい動物です。草を食べることに熱中していて、気がついてみたら羊飼いからも仲間からもはぐれていたなどということはよくあるようです。自分の直ぐ目の前のことばかりに気を取られて、回りの状況が見えなくなる私たちに似ています。この点を預言者イザヤは「道を誤り、それぞれの方角に向かって行った」と表現しました。一旦迷い出ると羊は羊飼いからも仲間からも遠ざかり、自力で群れに戻ることが難しくなるでしょう。
主イエスはたとえのなかで、羊に対する愛を語られました。99匹も残っているのだから、1匹くらいいなくなったって構いはしないとはおっしゃいません。迷った羊は藪に足を取られたり、斜面を滑り落ちたりして怪我をすることもあるでしょう。羊飼いは迷った羊の足取りをなぞるようにして追いかけてゆきます。羊飼いもまた途中危険な目にあうかもしれません。茨の茂みをくぐったために、棘で傷つくこともあるでしょう。「見つかるまで探すとは」羊たちの辿った苦難の道、迷いの道を自らも傷つきながら、共に歩いてくださることなのです。共に苦しむ果てに羊の身代わりとして十字架にかかられました。良き羊飼いとなって、私たちを救うために主イエスはクリスマスに生まれてくださるのです。