カテゴリー: あゆみ
2012年9月16日 礼拝説教要旨
「 見えないものに目を注ぎ 」
政所邦明 牧師
コリントの信徒への手紙二 第4章16-18節
主題聖句:「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほどの重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」
コリントの信徒への手紙二 第4章19節
今日は主のもとに召された方々の写真を会堂に飾り、礼拝をしております。お一人お一人の人生を思い起こすと懐かしさがこみ上げて参ります。おそらく艱難の多いご生涯だったとはずです。しかし、信仰をお持ちだったので、その重荷に押しつぶされることなく、“ひとときの軽い艱難”と言うことができました。そもそも“軽い”とか“重い”とかは比較の問題で、「この地上で一生受ける艱難の重さは神の御前に立たせられる栄光に比べれば、遥かに軽い。」とパウロは言っています。苦闘している本人にとっては必死なので聞きようによっては腹が立ちます。しかし、「苦労してはいるがそれは大したことはないでしょう。我慢しなさい。」と無責任に気休めを言っているわけではありません。 ―神から必ず誉れをいただける。その栄光はどれほど価値があり、栄光に富んだものであるか― と語っているのです。
この重みのある永遠の神の栄光は目に見えません。信仰の目をもってしか、理解できないことです。今日、信仰の諸先輩方を偲ぶとき、キリストのためになぜ耐えて生きることができたか、重いのに軽いと感じられたか その秘密が分かるような気がいたします。これらの方々は「見えるものにではなく、見えないものに目を注がれ」たのです。 ―この地上で見えるものには限界がある。やがて消えてなくなることを知っておられた― だから見えるものにしがみつくことも、根拠にすることもされませんでした。永遠に存続する神の栄光だけを見つめて生きて来られたのです。
2012年8月21日-23日 日本アライアンス教団 宮島聖会
8月21日~23日に宮島国民宿舎杜の宿において宮島聖会が行われました。講師は大嶋博道先生と横山晋次先生でした。
大嶋博道師
日本フリーメソジスト教団
神戸ひよどり台教会・京都西教会牧師
日本フリーメソジスト教団前理事長
横山晋次師
日本アライアンス教団
庄原基督教会牧師
大嶋先生はお父様から親子2代に亘ってフリーメソジスト教団の牧師です。サンパウロ市で日系人伝道、社会人としての経験後神戸市郊外で開拓を伝道され、教会は急成長を遂げておられます。
今回は「み言葉の力」と題して、み言葉こそ今日の生活と同時に、
はるか将来をも照らす光であることを力強くアッピールされました。
横山先生は三原・庄原両協会で会堂建築の経験をお持ちです。誠実に仕える中で、み言葉は神の民として生きてゆく保証であることを語られました
2012年9月9日 礼拝説教要旨
「 信仰 」
政所邦明牧師
フィリピの信徒への手紙 第4章19節
主題聖句:「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」
フィリピの信徒への手紙第4章19節
「わたしの神」とパウロは申しました。第1章3節にも「わたしの神に感謝し…」とあります。「わたしたちの神」と言えば、「信じる者たちすべてが共に見上げる神」となり、それはそれで一つの言い方です。
ところが「わたしの神」だと「わたしだけの神」のように感じられ、“独り占め”しているように聞こえます。しかし、信じる者はハッキリと「わたしの神」と言えるはずです。複数形の中に「わたし」が埋もれて、信仰の主体が曖昧になることはありません。―「他のだれでもないこのわたしにとっては、イエス・キリストによってわたしを救ってくださる神こそ、本当の神、ほかに神などありえない。」―パウロは自分と父なる神との強い結びつきを示します。パウロと神との結びつきの強さはどこから生まれてくるのでしょうか。パウロは「わたしの神」が何をして下さったかをよく知っているのです。一言で言えば神の恵みです。…神はわたしを罪から解放してくださいました。他の人が何と言おうと切っても切れない関係があります。だから「わたしの神」としか、言わざるを得ないのです。…パウロの強い確信が伝わってまいります。「この世界には神という偉い方がいらっしゃりそうだ。」などと言うのとは全く違います。20節で、パウロは神に栄光を帰し、神をほめたたえます。ただ言葉だけではなく全身を使い、心を込めてそうしています。神と親密でなければ、神をほめることなどできません。神の恵を知らなければ、本当には神と親密にはなれないのです。
2012年9月2日 礼拝説教要旨
「私を強めて下さるお方」
フィリピの信徒への手紙 4章13-18節
政所邦明牧師
主題聖句:「そちらからの贈り物…それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。」
フィリピの信徒への手紙 第4章18節
パウロは天幕作りの技術を身に着けており、地中海の東の地方を巡回し、しばらく滞在するときは職人として生計をたてながら宣教に励みました。どこからの援助も受けないで伝道活動をするのを基本としていました。ところがフィリピの教会だけは例外だったと言うのです。お金であったか、物であったか、とにかくパウロの生活を助けました。パウロも「いや私は自立・自給が建前ですから、いただくわけにはゆきません」と言って無下には断らなかったようです。パウロの生活が惨めで哀れだから、気の毒に思って助けてあげようとしたのではありません。フィリピの教会の人々は福音宣教の業に自分たちも与りたかったのです。しかし、パウロのようにいろいろな町を旅して歩くわけにはゆきません。伝道に伴う危難を共に担うとすれば献げものという方法しかない。―フィリピの人々はそう考えたのでしょう。…フィリピの人たちは確かに自分を助けてくれてはいる。しかしそれ以上に“神に対して献げている”… これがフィリピの人々の好意に対するパウロの受け留め方です。人から好意を受けながら、妙な理屈をつけて、結局はパウロが偉そうぶっているのではありません。
信仰者同士の、特に伝道の業にあずかる場合の物のやり取りの意味を考えます。その献げ物が、神の目にどのように映り、意味を持つかが一番大切です。人々が献げ物をもってパウロの働きに参与した事は麗しいことです。しかし、神に覚えられなければ、虚しいでしょう。人が誰も気が付かなくてもフィリピの人々の好意を神は喜んでおられるとパウロはいうのです。