2014年6月1日 礼拝説教要旨

人の知恵と神の知恵

 

政所 邦明牧師

 

サムエル記下 第15章7-16節

サムエル記下 第15章30-37節

 

主題聖句:「ダビデは、『主よ、アヒトフェルの助言を愚かなものにしてください』と祈った。」            

サムエル記下 第15章31

 

落ちぶれた時、あるいは逆に成功して有頂天になった時、その人の真価が問われるのではないでしょうか? 

 

息子アブサロムの反逆のため、ダビデは、エルサレムを離れ、逃亡生活を余儀なくさせられました。100%だれからも支持を受ける人などひとりもおりません。ひとつの政権ができると必ず不満を持つ人々が現れるものです。国内を統一したとはいえ、「一旦事あらばダビデの足元を救ってやろう」とする人がいても不思議ではありません。利害が一致すれば、徒党を組む人々も出てくるでしょう。担ぎあげた人々にとって、自分たちの主張を通すのに、アブサロムは格好の人物だったのかもしれません。若くて操りやすいからです。

 

内心ハラハラして、アブサロムをダビデは見ていたのではないでしょうか?「利用され、価値が無くなったら捨てられるに決まっているのに、それがわからないのか!」と息子を心配していたはずです。厄介な人物がアブサロムの側につきました。かつてダビデの顧問官をしていたアヒトフェルです。裏切って敵方に行ったのです。“これで百人力を得た”くらいにアブサロムは思ったでしょう。しかし、ダビデは祈ることを知っていました。「どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください」人間の策略など、神の知恵に比べれば取るに足りません。神が世の知恵を愚かにされるからです。危機に際して祈ることをダビデは知っていました。

 

その事こそが、ダビデの信仰のあり方の真骨頂だったのです。

2014年5月11日 礼拝説教要旨

神に対する罪

 

政所 邦明牧師

 

サムエル記上 第12章1-15節

ルカによる福音書 第15章11-19節

 

主題聖句:「ナタンはダビデに向かって言った。『その男はあなただ。…なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。…』」  

サムエル記下第12章7,9節

 

ダビデはウリヤの妻を寝とり、そればかりか忠実な部下ウリヤを殺させてしまいます。一つの罪を隠すために、さらに罪を重ねてゆきます。良心の疼き(うずき)を少しも感じることなく、罪を隠し通せるとでも思ったのでしょうか。神は侮られるようなお方ではありません。ダビデが悔い改めるようにナタンをお遣わしになりました。

 

一つの話をナタンは始めます。たくさんの羊を持っている男が来客のもてなしのために自分の羊ではなく、別の貧しい男がだいじに飼っていた一匹の羊を取り上げて、料理した話です。実際にあったのか、つくり話なのか、わかりません。一見ダビデの行なったこととは直接は結びつかないように思えます。 “自分のことを棚に上げ”、ナタンの話の中に出てくる富裕な男の非道な振る舞いにダビデは怒ります。「そんな無慈悲なことをする人間は死罪だ!」と思わず言ってしまいます。「ダビデのことだとわからないように遠回しに」ナタンが話したという面もあるでしょう。しかし、それよりも、だれでも自分の行動には無感覚になり、分らなくなるということでしょう。

 

ダビデの反応に対して「その男こそ、あなただ!」とナタンは切り返します。ダビデは自分の罪を知らなかったのではなく、認めたくなかったのです。しかし、王としての体面にしがみつくことなく「わたしは主に罪を犯した」(第12章13節)と悔い改めました。罪を犯した後の処理とは、言い逃れをすることではなく、罪を素直に認め、神に詫びることなのです。