2017年5月7日 礼拝説教要旨

神のものは神に返しなさい

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第12章13-17節

主題聖句:イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。

 マルコによる福音書1217

 

 

 「皇帝に税金を納めるべきでしょうか。納めてはならないのでしょうか。」と納税反対派と納税賛成派が一緒になって主イエスに尋ねて来たのです。どう返答するかによって、主イエスを陥れようとの下心のある質問 でした。

 

主イエスは直接答えられず、彼らにデナリオン銀貨を持って来させて、「その銀貨には誰の肖像と銘があるのか」と尋ねられ、その銀貨をよく確認するように求められました。

 

その銀貨には、皇帝の肖像と銘がありました。そして銀貨に皇帝の肖像と銘があることは、皇帝の権威と支配を示しており、皇帝の支配によって経済流通の秩序が支えられていることを示していたのです。そのように皇帝の権威と支配によって支えられているのであれば、皇帝の恩恵に対して税金によって返していくべきと主イエスは答えられたのです。

 

それに加えて、「神のものは神に返しなさい」と言われました。「神のもの」とは、神の権威と支配の及ぶところです。神の造られたものすべて、神によって創造された私たち人間も神のものです。皇帝も神のものです。私たち人間が神のものですが、主イエスの犠牲によってなお一層神に近づけられています。神のものとされていますから、神に感謝し歩むのです。

 

2017年4月30日 礼拝説教要旨

ぶどう園のたとえ

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第12章1-12節

主題聖句:まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。

 マルコによる福音書166

 

 ユダヤの指導者たちが主イエスに向かって、何の権威で、その教えやその働きをするのか、だれがそのような権威を与えたのか、と尋ねました。それに対する答えを、主イエスはたとえによって示されました。

 

そのたとえが、マルコ12:1~11です。「ある人」は父なる神を表し、「農夫たち」は神の民イスラエルを表しています。イスラエルの民は神から良く準備された素晴らしい環境を与えられ、よく世話をすることを期待されていました。時が経ち、神に収穫をささげるべきとき、イスラエルの民は神から遣わされた預言者たちを侮辱し、殺してしまいました。イスラエルの民は神を忘れ、神の言葉を退け、自分が主人となろうとしたのです。

 

そういう侮辱を受けてもなお神はイスラエルの民に働きかけられます。最後に愛する息子を送るのです。「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と誠意をもって彼らを信頼し期待して愛する息子を送り出すのです。彼らが神を敬ってくれることを願っての行動です。

 

しかし、たとえでは「農夫たち」はその神の思いをあざ笑うかのようにその息子を殺してしまいます。このたとえは神の御子イエスを殺してしまうことを暗示していました。けれども神はこの殺された息子の死と復活をもって、救いを成し遂げられるのです。人の目には不思議な御業です。

 

2017年4月23日 礼拝説教要旨

聞いて信じる

三好 晴夫 牧師

マルコによる福音書 第16章5-11節

 

主題聖句:その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。

 マルコによる福音書1614

 

 

 主イエスはむごい十字架にかけられて確かに死なれ、そのお体は十字架から降ろされて墓に納められました。その事実に、彼ら弟子たちは全く気力を失っていました。週の初めの日の朝早く、墓にいた女性の弟子たちが、墓の中で、天使と思われる若者から「あの方は復活なさって、ここにはおられません。」と言われて、震え上がって恐れるばかりでした。天使の言葉を聞いても信じられなかったのです。

 

その日、復活された主イエスは、マグダラのマリアにご自身を現されました。その復活された主イエスの姿を見たマリアは主イエスが復活されたと認め、その喜びを仲間に伝えました。しかし、仲間たちは彼女の伝えることを聞いても信じることができませんでした。

 

その後、11人の弟子たちが食事をしている時、復活された主イエスがその場に現れ、彼らの不信仰とかたくなな心をとがめられたのです。主イエスは彼らに、復活を目撃した人々の証言を聞いて信じることを願っておられたからです。しかし、復活された主イエスは、その彼らに、福音の宣教を託されたのです。それは、復活の主イエスから聞いて信じて教えられた者が、皆に伝えてほしいからです。聞いて信じることが大切なのです。