投稿者: matsuyama-alliance
2017年10月15日 礼拝説教要旨
日々新たにされる
三好 晴夫 牧師
コリント信徒への手紙二 第4章16-18節
主題聖句:だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。 コリントの信徒への手紙二 第4章16節
わたしたちの「外なる人」、すなわちわたしたち人間の肉体は、いつか衰えていきます。どんなに十分に健康に気を付け、適度な運動、バランスの良い食生活をするなど様々な調整を十分したとしても、肉体の衰えをとめることは出来ません。滅びてしまうだけなのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。主イエス・キリストがわたしたちのために救いを成し遂げてくださり、わたしたちに復活の命を与えてくださっているので、「外なる人」が衰えていくとしても、キリストを信じる者の「内なる人」は日々新たにされていくというのです。
「内なる人」とは、主イエス・キリストを信じて心の中にお迎えしたときに、新しく生まれた新しい人格です。新しくされた霊なるわたしです。ですから、わたしたちの肉体は衰えて、心も身体も衰えていくという困難を覚えることがあったとしても、落胆しないのです。それは、聖霊とキリストの力によってわたしたちの内なる人が強められ、日々新しくされるからです。常に新しいいのちに潤されていくからです。「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれ」(17節)るのです。今苦しみがあっても、新しいいのちによって重みのある栄光が与えられるという希望を抱いて生きることができます。
2017年10月8日 礼拝説教要旨
神を欺いた結果
三好 晴夫 牧師
使徒言行録 第5章1-11節
主題聖句:ところが、アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
使徒言行録 第5章1,2節
初代教会の中で起きた悲しむべき出来事が記されています。エルサレムの初代教会は、イエスを真の救い主であることを信じることに一つとなって、互いに助け合う信仰の交わりを持っていました。しかし、その教会も完全ではなく、罪が入り込む余地があったのです。
4章34節以下にバルナバはじめ土地を持つ人々が自発的にそれを売ってその代金を教会に献金していたとあります。それは、神への感謝として自分の人生そのものを神と教会にささげる信仰の姿でした。
それを見た、アナニアとサフィラは自分たちもそのようにして教会に評価されたいと思ったのでしょう。彼らは相談して自分の土地を売り、その一部を持ってきて教会に献金しました。そこだけを見ますと、彼らも立派な献金をしたと見えました。けれども、そこに、神を欺く罪があったという指摘がありました。彼らのどこに問題があったのでしょうか。土地の売却金の一部しか献金しなかったことが問題なのではありません。彼らは、自分たちの生活も考えて出来る範囲のものをささげようとしたのでしょう。でもその時、彼らは献金を、自分の土地の代金全部を潔く献げたものだと見せかけたのです。しかも夫婦で共謀したのでした。彼らはうまくやったと思ったでしょうが、それは、人ではなく、神を欺く罪でした。
2017年10月1日 礼拝説教要旨
心も思いも一つに
三好晴夫 牧師
使徒言行録 第4章32-37節
主題聖句: 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。
使徒言行録 第4章32節
「信じた人々の群れ」である教会が誕生したばかりの頃、信じた人たちはどのような生活をしていたのでしょうか。以前見た使徒言行録2章44節では、「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有し、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じて、皆がそれを分け合った。」とありました。そして、今日の箇所には「心も思いも一つにし…すべてを共有し」助け合うことをしていたとあります。
彼ら信者は同じ信仰を持った者同士です。同じキリストから愛され、救い出された者と認め合い、各自の持ち物を自分だけのものとせず、仲間のために提供し、必要な時に自由に使えるようにしたのです。
自分のものを提供するならば、自分のものが減ってしまうことになります。けれども、今自分の持ちものも、神から与えられたものであり、それをささげたとしても、神が必要を満たしてくださると信じて差し出したのでしょう。
そのようにすることが出来たのは、彼らが自分のことだけを考えないで、互いを思いやる愛を持っていたからでしょう。使徒たちから主イエスの復活の恵みを何度も教えられ、神からの大きな恵みが彼らの上に注がれ、励まされていたからでしょう。この恵みは私たちに注がれています。