2018年9月2日 礼拝説教要旨

  主によって備えられた出会い

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第9章10-19a 説

 

主題聖句:すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。                            使徒言行録 第9章15節

 

人の思いを超えた方法で、神は人に近づかれ、悔い改めに導き、赦しと救いを与えられることがあります。まさにキリスト教を迫害していたサウロに対しては、そうでした。主は彼に近づかれ、ご自身を示され、救いに導かれたのです。

 

サウロが救われるために、神はご自身だけでなさろうとされず、人が用いられたのです。主によって備えられた出会いがありました。その出会いは、初めはできれば避けたいと思えるようなものでした。

 

ダマスコに住むアナニアという主の弟子にとっては、サウロは出会いたい人ではありませんでした。関わりたくなかった人でした。なぜなら、サウロは恐ろしいキリスト教迫害者であったからです。そのような人の所には行きたくなかったのです。ですから抵抗しました。

 

しかし主は「行け」と言われました。この人は、わたしの名を伝えるために、わたしの選んだ器だと。過去はどうであれ、その人をわたしが選んだのだ。

 

そう聞いたアナニアは、主がこの人を選ばれ、彼に務めを託され、彼を神の教会に加えられたのだと受け止めたからこそ、彼に「兄弟サウロ」と呼びました。それが神のご計画だと認めたからです。そうして彼の上に手を置き、洗礼を授け、彼は主の教会に加えられたのです。

2018年8月26日 礼拝説教要旨

 サウロの回心

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第9章1-9節

 

 

主題聖句:「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害するイエスである。   

使徒言行録 第9章5節

 

私たちはしばしば自分の知識で正しいと思い行動していることが、後で、それが見当違いであったり、正反対であったりすることに気づかされて、はっとさせられることがあります。

 

サウロは、ユダヤ人としての厳しい高度な教育を受け、律法を堅く守って生活していると自負していました。彼の考えでは、イエスは偽メシアであり、神を冒涜している者であり、このイエスを信じる者も神を冒涜しているから、彼らを排除することが神の御心に適う事だと確信していました。その思いで、キリスト者たちを憎み、ダマスコに入るキリスト者たちを捕えるために向かっていたのです。そんなとき、突然、天からの光が彼らの周りを照らしました。サウロを呼ぶ声がしました。思わず問いかけると、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」との答えがありました。その声の主は、あの十字架にて処刑されて復活されて今天の父なる神の右に座しておられるイエスでした。復活されたイエスがサウロに出会ってくださっているのです。

 

この出来事はサウロには大きな衝撃でした。天からの声を聞いて、イエスこそがまことのメシアであられ、自分が迫害していたキリスト者たちはまことのメシアと信じていたのだから正しいことになります。そうであれば、自分はまことのメシアであるイエスを迫害していたことになります。そう知らされたサウロは心打ち砕かれたのです。

2018年8月19日 礼拝説教要旨

 聖霊の導きに従う

三好晴夫 牧師

使徒言行録 第8章26-40節

 

主題聖句:そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。   

使徒言行録 第8章35節

 

一人の人がキリスト者になる時には、その求める人と伝える人とが神の導きによって出会い、この二人の間でキリストの恵みが分かち合われて、その恵みが受け入れられるという出来事が起こっています。その出会いの不思議さは、まさに神ご自身の御業というほかありません。

 

本日の聖書箇所にも神の導きによって与えられた不思議な出会いが記されています。キリスト者フィリポが、主の使いによってエルサレムからガザへの道に下る道に行けと命じられて従ったことでこの出会いが始まりました。彼がそこに行ったところ、折しもエチオピアの女王の高官で、女王の全財産を管理する宦官が馬車に乗ってエルサレムで神様を礼拝して帰っている途中でした。宦官は、聖書の神を信じ、聖書をよく読んでいた人で、その時も馬車の中で声を出して聖書を読んでいました。その時、神の霊に押し出されて、フィリポは馬車の中の人に会うために、馬車に近寄ったら、その宦官が聖書を声を出して読んでいる声が聞こえてきました。その聖書箇所は、イザヤ書の中の、罪人の代わりに罪を背負って苦しみ贖いの業を成すしもべの預言でした。

 

宦官から、この預言は誰のことを言っているのか説明を求められたので、フィリポは、この苦難のしもべの預言は、イエス・キリストによって実現したと伝えたのです。聞いた宦官はイエスを信じ喜びにあふれて旅を続けました。聖霊の導きによって宦官は喜びを得たのです。

2018年8月12日 礼拝説教要旨

聖霊を受けるように

三好 晴夫 牧師

使徒言行録 第8章14-25節

主題聖句:人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。

                                           使徒言行録 第8章16節

 2千年前、約束の聖霊が主イエスの弟子たちに降り、確信に満ちた彼らが主イエスの福音を伝え始めた時から、聖霊の働きが大きく始まりました。聖霊は、父なる神と御子キリストから遣わされる神の霊です。この霊の働きによってこそ、私たちは神様が分かり、信じることができるのです。この聖霊こそが、仲違いしている人々を一つにするのです。

 

今日の箇所には、今まで仲違いしていたサマリアの人々が何と神の言葉を受け入れ、主イエスを信じたというニュースを聞いた、エルサレムの使徒たちが、サマリアにやって来て起こったことが記されています。

 

エルサレムの使徒ペトロとヨハネが見たのは、彼らサマリアの信仰者たちが主イエスの名によって洗礼を受けているが、聖霊が誰にも降っていない状況でした。どうしてなのか、詳しいことはわかりません。でも、サマリアの人々の信仰が不完全だったからだとも記されていません。その状況を見たペトロとヨハネが彼らの上に手を置いて祈ると、彼らは聖霊を受けたのです。それまで聖霊の導きが彼らにあったからこそ、彼らも主イエスを信じたはずです。さらに、もっと明らかな聖霊の導きとして外から見ても新たな力が与えられたとわかるような変化があったのです。そのことによってサマリアの信仰者も同じキリストの体であることが明らかにされました。この聖霊の導きを私たちも頂いています。