内住のキリスト「自我の磔殺」
ミス・メーベル・フランシス
(1969年、89歳で来日の時、全四国クリスチャン修養会での説教から)
アメリカにいる時、私は本当にキリストと共に歩んでいたのに、その苦しみの中にイライラし出した。勿論、習慣が難しかった。今まで座ったことのなかった私が座ることが難しかった。行儀作法も厳しかった。又人間が多かったこと。何処へ行っても人間がおる。人間が多い事・・・。
それで私は失望してしまった。「もう私はだめだ。折角来たけれども私に何ができますか」「イエス様、私はあなたに従って参りました。あなたのおっしゃる通りにしました。けれども何が出来ますか。私のような小さい者は、この大勢の中に、恐れて近寄ることもできません。もう駄目です」。私はその時箱根の方に行っていたのですが、山に登って声をあげて泣いて、泣いてイエス様に申し上げたのでした。
その時イエス様が、私の心に「お前が出来るからお前を日本に召したんでないです。わたしがお前にやらせること、わたしがお前の中にわたしを住まわせて、私がお前を通して事をなすことを私は願っておる」と言われました。「イエス様、教えてください。私はもう、本当に失望しました。苦しいです」「お前は今まで、聖霊を受けて、心を潔められて、非常に喜んでおりましたが、もう一つの事がなければ私はお前を用いる事が出来ません。お前が死ななければ・・・。」
そのイエス様の言葉を聞いて私は初めて、私にこの「我(われ)」「我(が)」というもの、これがあるという事が分かった。そしてイエス様は「その我は、きよまるでなしに死ななければならない・・・」と言われた。