投稿者: matsuyama-alliance
2020年3月8日 礼拝説教要旨
人の子を信じるか
三好 晴夫 牧師
ヨハネによる福音書 第9章13-41節
主題聖句:イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼
に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。
ヨハネによる福音書 第9章35節
受難節第二主日では、主イエスが通りすがりに、一人の生まれつき目の見えない人を見かけ、その人の目が見えるようになさったこと。そのことから、この人が色々な経験の中で、イエスが真の救い主と信じるようになったところを学びたいと思います。
主イエスが土をこねてこの盲人の目を開けられたのが、安息日のことであったため、ユダヤの戒めでは安息日には何の仕事もしていけないのに、このイエスが、安息日にそんなことをしたということから、ユダヤ人指導者たちはイエスを罪人だと決めつけ、この人の目が見えるようになったことも信じなかったのです。そこで、彼らはさらに尋問を続けました。その中で盲人であったこの人は、「ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見える事です」と告白し、「あの方が神のもとから来られたのでなければ何もおできにならなかったはずです」と、自分の上に御業をなさった方への感謝と信仰を言い表しました。
このためユダヤ人たちは彼を外に追い出したのです。それを知った主イエスは彼に出会い、「あなたは人の子を信じるか」と問われました。「人の子」とは、人間の罪が赦されるために十字架に上げられる。信じるものに命を与えることの出来る方です。この方が人の子イエス・キリストです。その方が、今も、わたしを信じるかと問いかけられます。
2020年3月1日 礼拝説教要旨
荒野の試み
三好 晴夫 牧師
マタイによる福音書 第4章1-11節
主題聖句: イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書
いてある」と言われた。
マタイによる福音書 第4章7節
教会の暦で、主イエス・キリストの味わわれた御苦難を覚える「受難節(レント)」の季節に入りました。今日は第1主日で、主イエスが荒野で試みに遭われた聖書箇所を読みます。主イエスが神の霊に導かれて行った場所が、荒野でした。そこで悪魔の試みを受けたのです。悪魔、それは神に敵対する霊的存在です。その悪魔は主イエスを、そして私たちを神から引き離し神に信頼しないように仕向けようとしたのです。主イエスの味わわれた戦いは、私たちの信仰の戦いでもあります。
悪魔は第二の試みとして、主イエスを神殿の屋根の端に連れて行き、「ここから飛び降りたらどうだ」と誘惑したのです。あなたが神の子なら神はあなたを守ってくれると。聖書の言葉を引用して誘惑したのです。
この誘惑の鋭さは、主イエスが神殿の端から飛び降りるという危険を冒して、神があなたを愛し守ってくれるかどうかを試してみろという誘惑です。このようなしるしを見せたら、人々があっと驚くから、そのしるしを見せたらいいではないかというのです。私たち自身、そんなしるしを見せてくれたら、主イエスを信じてもいいのではないかと期待する思いがあります。しかし、主イエスは、神を試みてはならないと答えました。主イエスは大げさに自分の力を見せることをされません。あくまで神を信頼し続けられたのです。私たちも大げさなしるしを主に求めて主を試みないで、主を信頼するべきなのです。
2020年2月23日 礼拝説教要旨
いのちを与える方
三好晴夫 牧師
ヨハネによる福音書 第6章1-15節
主題聖句: さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座ってい
る人々に分け与えられた。
ヨハネによる福音書 第6章11節
主イエスが山に登られ、弟子たちと座っていたところに、大勢の群衆がやってきました。群衆の近づく姿をご覧になった主イエスは、弟子たちに聞きました。「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と。主イエスは彼ら群衆を深く憐れみ、彼らにパンを食べさせたいと思われたのです。
でも、弟子たちは、自分たちで食べさせるには、どのくらいのお金がかかるか計算し、それに必要なパンを用意するのは無理だと思ってしまいました。そんなとき、弟子の一人が、主イエスのもとに一人の少年を連れてきました。この少年が大麦パン5つと魚二匹を持っていますと伝えました。でも、この弟子には、大勢の人たちに食べさせるには、このわずかなものでは何の役にも立たないと思いました。
しかし、主イエスは、このわずかなものであっても、今御自身がしようとしておられることを行う準備が整ったと判断されたのでしょう。弟子たちに命じて人々を座らせました。そして、主イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、座っている人々に分け与えられました。人々に欲しいだけ与えられたところ、人々が満腹したのです。
主イエスがパンを取り、父なる神に感謝の祈りをささげられ、そのパンを人々に分け与えられたということは、主イエス・キリストが一人一人にいのちを与えるお方であることを教えています。