「満足することを学ぶ」
フィリピの信徒への手紙 第4章11-13節
政所邦明牧師
主題聖句:「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」
フィリピの信徒への手紙4章13節
「すべてが可能です」のところは口語訳聖書では「何事でもすることができる」でした。随分豪胆というか「偉そう」にも聞こえます。パウロは自分が万能だと言っているのでしょうか。そうではありません。「わたしを強めてくださる方のお陰で」と言っているのです。強めてくださるお方は主イエス・キリストしかおられません。「…のお陰で」は意訳しています。しかしそのまま訳せば「…くださる方において」です。パウロがこれまで何度も繰り返してきた「主において」と同じ内容です。―自分の力でできるはずがないじゃないか、主イエスの力こそが全能であり、この私を捉え、強くしてくださる。― キリストのお力に全幅の信頼を寄せているからこそ、このように言えるのです。
主イエスの力はどこに現れるのでしょうか。パウロが置かれている境遇(11節)、いついかなる場合(12節)においてです。私たちを取り巻く状況は、絶えず変化します。貧しい時、豊かな時、満腹、空腹、物が有り余っているとき、欠乏しているとき、それらが寄せては返す波のように、襲ってきます。貧しければ僻み、物があり余れば傲慢になり、富に溺れることもないとは言えません。神の豊かさに与り、満たされるのでなければ、本当の満足を持つことはできないのです。パウロは「その秘訣を授かった」といいます。主イエス・キリストに出会ったのです。秘訣は特別の人だけが教えて貰えるのではなく「あなたにも与えられる。キリストを信じさえすれば誰でも!」と私たちに保証してくれるのです。