2021年1月10日 礼拝説教要旨

主イエスの洗礼

三好 晴夫 牧師

マタイによる福音書 第3章13-17節

           

主題聖句:しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」  

      マタイによる福音書 第3章15節

 

主イエスは洗礼を受けられたことによって、神の御子としての姿を公に表わされました。その栄光はどんな輝きであったのでしょうか。

 

それまでガリラヤに住んでおられた主イエスが30歳になられたとき、洗礼者ヨハネの働きを耳にしました。ヨハネは、ユダヤの荒野で、悔い改めよ、天の国は近づいたと語り、人々に悔い改めを迫ったのです。そのうわさが全イスラエルに拡がり、多くの人々がヨハネのもとに来て、自分の罪を告白し、洗礼を受けたのです。

 

その洗礼の列の中にイエスも加わり、自分に洗礼を授けてほしいとヨハネに願ったのです。しかし、ヨハネはイエスが罪のない方であり、メシアであると分かりその申し出を思いとどまらせようとしました。ところが、イエスはヨハネの躊躇を跳ね返し強く洗礼を求められました。その理由として「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」ということでした。「正しいこと」とは「義」と訳される言葉です。聖書では義とは神の契約に忠実であるということです。神は私たち人間を愛し救おうとされる救いの契約に従って人間を救う御業を進めてくださるお方です。その救いの契約に忠実に従おうとして主イエスは洗礼を受けると言われるのです。つまり、イエス自身、罪人の立場に自分の身を置き、人間の罪を自分の罪として負って告白されたのです。罪人の友として歩み出された。

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