神の民の大きな罪
三好 晴夫 牧師
使徒言行録 第7章39-43節
主題聖句:彼らが若い雄牛の像を造ったのはそのころで、この偶像にいけにえを献げ、自分たちの手で造ったものをまつって楽しんでいました。
使徒言行録 第7章41節
私たちは、神様から愛され救って頂いたことが分かり、安心し神様を信じました。そうして始まる信仰生活は、神様の救いに感謝して神様のみ思い(み言葉)に添うように生活していく生活です。でも、いつのまにか私たちは神様の愛を当たり前のように思ってしまい、神様のみ思いに従うことが出来なくなってしまうことがあるのではないでしょうか。
有力な説教者ステファノが長々と弁明をする中で、ステファノが神の律法を冒涜していると訴えるけれども、実は彼らユダヤ人こそが、律法に従わないで、罪を犯していると指摘して始めたのです。
その弁明の中で、イスラエルの先祖たちが、モーセに従おうとせず、退け、エジプトをなつかしく思い始めたと語ったのです。それは、彼らが、シナイ山に登ったモーセが40日経っても下りてこないので、不安になったからだというのです。それで彼らはモーセの兄アロンに「わたしたちの先に立って導いてくれる神々を造ってください」と求めました。すると、アロンは彼らの圧力に負けて、人々から集めた金を使って鋳物の子牛を造ったのです。すると人々はその子牛を、自分たちを導いた神だと崇め、供え物を献げたのです。しかしそれは間違いでした。神を形ある見えるものにすることは神の望まれない大きな罪でした。このようなことにならないように、ステファノは私たちにも指摘しています