主イエスの沈黙
三好 晴夫 牧師
マルコによる福音書 第15章1-15節
主題聖句:しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。
マルコによる福音書15章5節
ユダヤ人の最高法院は主イエスに対して死刑の判決を下しました。しかし、当時のユダヤはローマ帝国の支配下にありましたので、死刑判決の権限はローマのユダヤ総督に置かれていました。それで、ユダヤの指導者たちは翌朝、主イエスを総督官邸に連れて行き、総督ピラトに死刑にするように訴えたのです。そこで、ピラトは裁きの座にイエスを立たせ、イエスに罪があるかどうかを取り調べ始めました。
そこでユダヤの指導者たちは、イエスをいろいろと訴えました。しかし、主イエスはそれに対して何の弁解も反論もせず、終始黙り続け何もお答えになりませんでした。裁判官ピラトが不思議に思う程、沈黙されたのです。その姿は、イザヤ書53章の主のしもべの姿です。神に選ばれた一人のしもべが人々の罪の責任を自分の身に引き受けて、人々に代わって罰せられ、苦しみ、死ぬのです。このしもべは、何の弁明もせず抗議もせず、黙って苦しみに耐えたのです。主イエスは、ご自分を落としいれようとする人々に対して黙ったまま自分に与えられた道を進まれるのです。
その沈黙される主イエスの姿は、ただ我慢し耐え続けておられるのではありません。父なる神の御心に従い、ご自分に与えられた使命の道に進もうとされる姿です。それは、人々が裁かれないで罪から救い出されるために自分のいのちを捨てようとされる、犠牲の愛の姿です。