2016年1月17日 礼拝説教要旨

神の国に生きる

政所 邦明 牧師

マタイによる福音書 第5章3節

 

主題聖句: 「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちものである。」 

マタイによる福音書 第5章3節 

 

山上の説教で語られた主イエス様のお言葉の魅力は〝逆説〟にあります。日本語の一般的な意味での〝心の貧しい人々〟はふつう、「不幸」と考えるでしょう。中味がみすぼらしく、ひどくやせ細っている人より〝心の豊かな人〟が幸いだと言うのなら、筋が通ります。

 

ところがその常識に反して“心の貧しい人々は幸いである”と主イエス様は言われるのです。一見辻褄があわず、矛盾しているように思われます。けれど、何か深い信仰の内容が含まれているのではないかと予感させるのです。「貧しさは」経済的な困窮だけを意味してはいないようです。

 

ルカの方は「貧しい」と書いてあります。マタイは「心において貧しい」と言葉を加えました。そのために意味が広がります。「心の貧しさ」を謙遜と取る人もあります。しかし徳目の一つの〝謙遜〟だけでしょうか。この世界において圧迫され、失望し、部屋の片隅に縮こまっている人を思い浮かべました。すべての可能性が閉ざされ、神様だけに頼る道が残されている人です。境遇の面から言えば最悪です。しかし、信仰の面から言えば、「神様にだけ期待する絶好のチャンスではないか」と主イエス様は言われました。まだ余裕があって、神様にたよらなくても、何とかやっていける間は、本気になって神様を求めません。切羽詰まることも恵みなのです。

 

「天の国はその人たちのものである」…「天の国」とは“神様がその人を捉えている”の意味です。絶望している人を神様はお見捨てになりません。両手で挟み付けるように祝福(幸い)の中においてくださるのです。

 

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