神の義
政所 邦明 牧師
ローマの信徒への手紙 第1章17節
主題聖句: 「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」
ローマの信徒への手紙第1章16節
日本語の翻訳には現れていませんが、「福音は、」の前に「なぜなら、福音は」と元の言葉には接続詞「なぜなら」が置かれています。16節で、「わたし(パウロ)は福音を恥としない」と言っておいて、「なぜなら福音が、すべての人に救いをもたらす神の力だから」と理由を述べるのです。
新約聖書の中でも、ローマの信徒への手紙は救いについて順序正しく、ハッキリと書いている書物のひとつです。手紙の受け取り手の中には、まだ救いに確信を持てず、「恥」と思っている人がいたのかもしれません。
福音とは〝十字架〟で処刑されたナザレのイエスを〝救い主〟とする信仰です。ローマの人々が、なお複雑な気持ちを持っていたとしても不思議ではありません。パウロ自身は救いの確信を持っています。ほんとうは「恥としない」と言わず、「福音を誇りに思う」と積極的に言いたいのです。
しかし、それでは「恥」と思っている読者との間の距離を詰めることはできません。まずは相手の気持ちを十分に汲み取って、聞き手と同じ地平面に立つことが必要でしょう。そうでなければ、相手の心を開かせ、納得させることはできません。ところが「なぜなら」と、いったん理由を述べ始めると、今度は一歩も怯まない確信に満ちた強い調子に変わるのです。「福音はだれをも救う力を持つ」とパウロは断言しています。ユダヤ人として神から与えられた律法を守ってきた人も、そうでない諸外国の人も、救われるのに何ら差別はありません。福音はダイナマイトような破壊力を持ちます。罪の頑固さは福音の力でないと打ち破れないのです。