自らすすんで
政所 邦明 牧師
ペトロの手紙一 第5章1-2節
主題聖句:「…わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人…として…」
(ペトロの手紙一 第5章1節)
いよいよこの手紙も締めくくりの部分に入ってゆきます。2章3章では「奴隷と主人」「妻と夫」へのそれぞれの勧めがありました。そのような関係においてキリスト者はどう立ち振舞うかを勧めたのです。それぞれの立場の違いによって摩擦は生じるものです。信仰者であろうとなかろうと関係なく、どのような両者間の関係においても、起こりうるでしょう。
ところが第5章からは〝長老の一人として〟ペトロは勧め始めます。明らかに教会内の秩序についての教えです。直接の相手は教会の指導者である長老たちです。ペトロは自分のことを〝キリストの受難の証人〟と呼びました。それを聞くと「本当にそうかなあ?」と疑問を持たれるかもしれません。ペトロを始めとして11人の使徒たちは主イエスが十字架にかかられた時には蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったからです。
〝受難の証人〟とは十字架の場面に立ち会ったかどうかだけを指してはいないでしょう。ヨハネからの受洗、ガリラヤでの宣教、十字架にかかり、甦り、天に挙げられた…それらのすべての出来事をつぶさに証言できる人つまり―主のご受難と復活の証人―であるとペトロは言いたいのです。
威勢の言いことを言っておきながら、いざとなると3度も主イエスを知らないと否認し、逃げ去ったペトロです。そのペトロに復活の主は自ら現れ、立ち直らせてくださいました。裏切っても、弟子として呼ばれた時から、ペトロを〝苦難の証人〟にするつもりで神はおられたのです。