魂をあがなう主
政所 邦明 牧師
マルコによる福音書 第3章1-6節
主題聖句:「しかし、神はわたしの魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる。」
詩編第49編 16節
今日は主のみもとに召された方々を記念して礼拝をささげております。「後世への最大遺物」という講演の中で、内村鑑三は〝勇ましく高尚なる生涯〟こそ、後の時代に残すことのできる最高の遺産だと申しました。「この世は悪魔の支配ではなく、神の支配にある」…このことを信じる信仰こそが〝高尚な生涯〟を生み出す…と内村先生は言われます。
「自分たちは神のご支配のもとに生かされ、また支配のもとで死に、今もその支配のもとにある」と在天者の方々が語っておられるように感じます。
一度死んでしまうと、巨万の富を築いた人でも、その大金を積んだところで、死んだ自分の命を買い戻すことはできません。これが、詩編第49編が語るところです。その事実に反対する人はだれもいないでしょう。
死んだ者のゆく世界を聖書では〝陰府〟(よみ)と言います。そこにいる死人を羊に喩えると〝死〟が羊飼いになるでしょう。その世界では〝死〟がのさばり、死人たちをいつまでも自分のもとに縛り付けておけると豪語しています。〝陰府〟では死が絶対的権力者であるかのように思えるのです。
この詩では、私の身も魂もすべて神が救い、〝陰府〟から解放して下さると告白しています。主イエスが甦られる何百年も前に、わたしたちをも活かして下さる復活の力を予め知っているかのようです。死者を〝陰府〟の手から救い出して下さる神の力はキリストの甦りの中にあります。先輩方はその福音を聞き、「自分たちもやがて復活する!」と信じて召されました。その信仰に続くようにと記念礼拝において、私たちを励ましておられるのです。