2014年8月3日 礼拝説教要旨

交わりへの回復

 

政所 邦明 牧師

 

レビ記 第14章1-9節

マルコによる福音書 第1章40-45節

 

主題聖句:「…厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さいないように気をつけなさい。」       

マルコによる福音書 第1章43、44節 

                                   

主イエスがガリラヤの町々村々で神の福音を宣べ伝えると、たちまちこの御方の評判は隅々にまで広がります。ある重い皮膚病を患っている人が窮状を訴えて、主イエスに清めてもらいに来ました。この人はおそらく人の住まないような町外れに、社会から隔離されてポツンと暮らしていたのでしょう。この種の病気の人は、〝癒される〟とは言わないで〝清くされる〟となっています。それがこの病の特徴です。自分では症状が回復したと思っても、祭司に診察してもらい、治癒診断のあと、神殿に犠牲をささげて、はじめて、ユダヤ人社会へ入ってゆくことができるのです。病が癒えても、ほかのユダヤ人たちが自分を交わりの中に受け入れてくれるかどうか、この人は不安だったと思います。そのことをわきまえておられた主イエスは祭司にちゃんと手続きをしてもらい、誰からも咎められることなく社会に入って行くように重い皮膚病だった人の背中を強く押されたのです。

 

「ナザレのイエス様が皮膚病を治してくれた」と、この人が触れまわれば、宣伝効果は抜群かも知れません。しかし、一切を秘密にするように主イエスは言われました。病が癒やされることは「神のご支配(神の国)」が確かに来たことの証拠です。しかし、それがすべてではありません。〝癒やし〟を自己宣伝のための〝目玉商品〟にすることを主は厳に慎まれました。神の国が宣べ伝えられることが第一の目的です。最後は十字架と復活によって、人が罪から解放されることを主イエスは明らかにされます。その時までお急ぎになりません。明らかになる時まで救いの真理を秘密にしておかれるのです。

 

 

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