神が勝利される
政所 邦明 牧師
サムエル記下 第23章13-17節
フィリピの信徒への手紙 第2章12-19節
主題聖句:ダビデはこの水を飲むことを望まず、注いで主にささげ、「…これは命をかけて行った者たちの血そのものです。」
サムエル記下第23章17節
ダビデは主を畏れていました。その信仰が困難を受けとめさせ、乗り越えさせていった秘訣でしょう。しかし、戦は軍隊と軍隊とのぶつかりあいです。いくら優れた総大将とはいえ、ダビデが孤軍奮闘するのでは勝利はおぼつきません。命がけで共に闘ってくれる仲間が要ります。人がついてきてくれるのも司令官の器量です。その器量は、また部下を優れた勇士に育てあげます。ダビデに人を引きつける魅力が備わっていただけのことでしょうか。そうではありません。ダビデの人格の中心には信仰がありました。
ベツレヘムはダビデの出身地で、まだ羊飼いの少年であった時、すでに預言者サムエルから香油を注がれて、王に任命された場所です。そのベツレヘムが敵の手に落ちています。きっと胸が張り裂けそうなになったでしょう。
ある時、ふと、「ベツレヘムの城門の傍らにある井戸の水が飲みたい」とダビデは漏らします。すると3人の勇士が危険をも顧みず、無我夢中で汲んできます。わがままで“生まれ故郷の水が飲めたらいいのに”と言ったのでしょうか?おそらくそうではなく、自分の人生の原点を思いつつ、神に渇き、神を慕い求めたのでしょう。願望が思わず口をついて出ただけで、命令してはおりません。部下たちがダビデの心を汲みとって、自主的に挑んだのです。
その水をダビデは飲めませんでした。水が部下の命そのものに思えたからです。その代わり、神に対するささげものとしました。自分の命も部下の命も神のものであることを知り、全てを神にお返ししたのです。その時、自分もまた神の支配の中に置かれたことを確信し、神の勝利を信じたのです。