神に対する罪
政所 邦明牧師
サムエル記上 第12章1-15節
ルカによる福音書 第15章11-19節
主題聖句:「ナタンはダビデに向かって言った。『その男はあなただ。…なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。…』」
サムエル記下第12章7,9節
ダビデはウリヤの妻を寝とり、そればかりか忠実な部下ウリヤを殺させてしまいます。一つの罪を隠すために、さらに罪を重ねてゆきます。良心の疼き(うずき)を少しも感じることなく、罪を隠し通せるとでも思ったのでしょうか。神は侮られるようなお方ではありません。ダビデが悔い改めるようにナタンをお遣わしになりました。
一つの話をナタンは始めます。たくさんの羊を持っている男が来客のもてなしのために自分の羊ではなく、別の貧しい男がだいじに飼っていた一匹の羊を取り上げて、料理した話です。実際にあったのか、つくり話なのか、わかりません。一見ダビデの行なったこととは直接は結びつかないように思えます。 “自分のことを棚に上げ”、ナタンの話の中に出てくる富裕な男の非道な振る舞いにダビデは怒ります。「そんな無慈悲なことをする人間は死罪だ!」と思わず言ってしまいます。「ダビデのことだとわからないように遠回しに」ナタンが話したという面もあるでしょう。しかし、それよりも、だれでも自分の行動には無感覚になり、分らなくなるということでしょう。
ダビデの反応に対して「その男こそ、あなただ!」とナタンは切り返します。ダビデは自分の罪を知らなかったのではなく、認めたくなかったのです。しかし、王としての体面にしがみつくことなく「わたしは主に罪を犯した」(第12章13節)と悔い改めました。罪を犯した後の処理とは、言い逃れをすることではなく、罪を素直に認め、神に詫びることなのです。