2014年1月19日 礼拝説教要旨

試みを受けられる主イエス

 

政所 邦明牧師

 

詩編 第91編1-16節

マルコによる福音書 第1章12-13節

 

主題聖句:「…サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」      

 マルコによる福音書第1章13節 

洗礼を受けられ、聖霊が鳩のように主に降られた後に、その聖霊は主イエスを荒野に送り出されます。「送り出す」は「外に投げ出す」、つまり「叩き出した」くらいの強い意味を含むことばです。聖霊はひどい“仕打ち”を主にされたのでしょうか?

 

信仰生活を送る時、身の回りに困難な出来事が起こってきます。たとえそれを神が望んでおられるとわかったとしても、必ずしも好ましいと思いません。おそらく私たちが自己中心で、神の深い配慮を理解できないからです。遭遇する困難は試練とも言えます。その試練の中に神がわたしたちを押し出されます。主イエスは公の生涯に入られる前に、わたしたちに先駆けて試練を受けてくださいました。その事自体、慰めではないでしょうか。「罪は犯されなかったが、あらゆる点で、わたしたちと同様に試練に遭われた」(ヘブライ人への手紙第4章15節)とある通りです。

 

荒野には“野獣”がいます。うっかりすれば、野獣に命を奪い取られるかも知れません。緊張を強いられます。人と擦れ合い、疲れを感じる私たちの日常生活とあまり変わりません。その中を主イエスは通られます。その時に天使も主に仕えていました。「聖霊が荒れ野に放り出した」と聞くと、ひどいことをなさると思います。しかし、「わたしの愛する子」と呼びかけられる父はその言葉を裏切り、放り出しておしまいにはなりません。…“野獣”が主と一緒にいても天使も又、いる。…試練と同時に守りも与えられる神のご真実を、この荒野の誘惑からわたしたちは知ることができるのです。

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