2012年12月16日 礼拝説教要旨
「 イエスの母、兄弟 」
政所 邦明牧師
マルコによる福音書 第3章31-35節
主題聖句「:「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」
マルコによる福音書 第3章35節
天使ガブリエルが「神の子」と呼ばれるほどの方を聖霊によって身ごもらせるとマリアに告げます。最初は戸惑い、恐れをいだいていたマリアも、天使と対話するうちに次第に心が解けてゆき、最後には「お言葉どおり、この身になりますように。」とすべてを明け渡します。「御心のままにこのわたしを用いてください。」とマリアは献身の姿勢を取ったのです。
「お言葉どおり」とはあなたの御心、お考えのとおりにということでしょう。受胎告知を受けたマリアは「神の御心」を行おうといたしました。
30年の歳月が流れます。父親のヨセフはすでに亡くなっており、主イエスは一家の長男として家計を支え、その責任を果たしていたのでしょう。その大黒柱が突然、家を飛び出し、旅回りの説教者となってしまったのです。気が変になってしまったのではないかと家族が心配するのは理解できます。滞在先まで、母マリアと肉親の弟たちとが訪ねて来ました。受胎の時に聞いたお告げをマリアは忘れたのでしょうか。神が最適と思われる時、満を持して、主イエスは宣教活動に入られました。神の御心からすれば当然起こるべくして起こったと言っても良いでしょう。
「神の御心を行う人こそ、…わたしの母」と主イエスから言われたマリアはどのような思いだったのでしょうか。身勝手な親不孝を正当化する言葉としてではなく、30年前の初々しい献身を思い起こさせる言葉として聞いたのではないかと思います。このようにマリアは神から挑戦を受けます。そして、主イエスを十字架へと献げる再献身へと導かれていったのです。