「 見えないものに目を注ぎ 」
政所邦明 牧師
コリントの信徒への手紙二 第4章16-18節
主題聖句:「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほどの重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」
コリントの信徒への手紙二 第4章19節
今日は主のもとに召された方々の写真を会堂に飾り、礼拝をしております。お一人お一人の人生を思い起こすと懐かしさがこみ上げて参ります。おそらく艱難の多いご生涯だったとはずです。しかし、信仰をお持ちだったので、その重荷に押しつぶされることなく、“ひとときの軽い艱難”と言うことができました。そもそも“軽い”とか“重い”とかは比較の問題で、「この地上で一生受ける艱難の重さは神の御前に立たせられる栄光に比べれば、遥かに軽い。」とパウロは言っています。苦闘している本人にとっては必死なので聞きようによっては腹が立ちます。しかし、「苦労してはいるがそれは大したことはないでしょう。我慢しなさい。」と無責任に気休めを言っているわけではありません。 ―神から必ず誉れをいただける。その栄光はどれほど価値があり、栄光に富んだものであるか― と語っているのです。
この重みのある永遠の神の栄光は目に見えません。信仰の目をもってしか、理解できないことです。今日、信仰の諸先輩方を偲ぶとき、キリストのためになぜ耐えて生きることができたか、重いのに軽いと感じられたか その秘密が分かるような気がいたします。これらの方々は「見えるものにではなく、見えないものに目を注がれ」たのです。 ―この地上で見えるものには限界がある。やがて消えてなくなることを知っておられた― だから見えるものにしがみつくことも、根拠にすることもされませんでした。永遠に存続する神の栄光だけを見つめて生きて来られたのです。