「私を強めて下さるお方」
フィリピの信徒への手紙 4章13-18節
政所邦明牧師
主題聖句:「そちらからの贈り物…それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。」
フィリピの信徒への手紙 第4章18節
パウロは天幕作りの技術を身に着けており、地中海の東の地方を巡回し、しばらく滞在するときは職人として生計をたてながら宣教に励みました。どこからの援助も受けないで伝道活動をするのを基本としていました。ところがフィリピの教会だけは例外だったと言うのです。お金であったか、物であったか、とにかくパウロの生活を助けました。パウロも「いや私は自立・自給が建前ですから、いただくわけにはゆきません」と言って無下には断らなかったようです。パウロの生活が惨めで哀れだから、気の毒に思って助けてあげようとしたのではありません。フィリピの教会の人々は福音宣教の業に自分たちも与りたかったのです。しかし、パウロのようにいろいろな町を旅して歩くわけにはゆきません。伝道に伴う危難を共に担うとすれば献げものという方法しかない。―フィリピの人々はそう考えたのでしょう。…フィリピの人たちは確かに自分を助けてくれてはいる。しかしそれ以上に“神に対して献げている”… これがフィリピの人々の好意に対するパウロの受け留め方です。人から好意を受けながら、妙な理屈をつけて、結局はパウロが偉そうぶっているのではありません。
信仰者同士の、特に伝道の業にあずかる場合の物のやり取りの意味を考えます。その献げ物が、神の目にどのように映り、意味を持つかが一番大切です。人々が献げ物をもってパウロの働きに参与した事は麗しいことです。しかし、神に覚えられなければ、虚しいでしょう。人が誰も気が付かなくてもフィリピの人々の好意を神は喜んでおられるとパウロはいうのです。