「信仰」
ローマの信徒への手紙 第3章21―26節
政所 邦明 牧師
主題聖句:「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。」
ローマの信徒への手紙 第3章22節
信仰とは「信じる」とか「信頼する」とかに言い直せる言葉です。類語に“信心”があります。何をどう信じるか、信じている教義が必ずしもハッキリしていなくてもいいようです。「イワシの頭も信心から」と言われるように「信仰内容よりも、なんでも素直にありがたがる“熱心さ”“信心深さ”が大切なのだ」ということになりかねません。「それだけ熱心に信心していると、何か良いこともあるはずだ」と皮肉交じりに言う人もいるでしょう。
キリストの教会が伝える「信仰」は“何を信じるか”が明確です。「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです」(ローマの信徒への手紙第1章17節)「福音」を信じるのです。福音の中に“神の義”が啓示されています。“神の義”とはいったい何でしょうか。“神の義”は神がお造りになったことを忘れ、神に背いた人間に表されます。人間は何よりも神に対して罪を犯しました。人間を処罰し、滅ぼす道もあったはずです。しかし、神はそうはなさいませんでした。イエス・キリストをわたしたち罪人の身代わりに十字架につけ、滅ぼすのではなく、救ってくださったのです。私たちは救いに関しては全く無力で、自分で自分を救うことはできません。それではどのような道が残されているのでしょうか? ―神が与えてくださったものを、素直に感謝して受け入れる― その道だけです。信仰とは、神が準備し、イエス・キリストにおいて提供してくださった救いを、受け取ること、信頼することです。罪を赦されて嬉しいと喜ぶ者でなければ、救いを信じる事はできません。