心に記された律法
三好 晴夫 牧師
ローマの信徒への手紙 第2章12-16節
主題聖句: たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。
ローマの信徒への手紙 第2章14節
神は、終わりの日に、おのおのの行いに従ってお報いになられると、ローマ書は教えています。その人の心と行いに従ってお裁きになられるのです。具体的にどのような裁きなのかについて、12節で、神の律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれるが、律法を知らないで罪を犯した者は、どのように裁かれるのか、14節15節に記されています。
「律法」とは、神が特別に選んだ神の民にお与えになった法です。その選ばれた民には大切な神の御意志を示すもので大切にされていました。しかし、異邦人(ユダヤ人から見て外国人)である私たちは律法を知りませんし、持ってもいませんから、律法を行うはずがありません。しかし、律法を知らなくても、律法の中に命じられている大切な戒めの一部を知っていますし、行っています。例えば、安息日規定をしらなくても、毎日勤勉に働いています。姦淫してはならないという戒めを知らなくても、夫婦の信頼関係を大事にしなければならないと思っています。律法を厳密に知らなくても、人間として守るべき原則として受け止め行っています。それが、15節の「律法の要求する事柄がその心に記されている」ということです。私たちの心に神の律法の要求することが記されて、それが、私たちの法となっているのです。神は分け隔てなく正しく裁かれるのです。キリストを思い、律法を、神の言葉、神の御心として行っていきたいものです。