宣教に遣わす
政所 邦明 牧師
マタイによる福音書 第10章5-15節
主題聖句:「病人をいやし、死者を生き返らせ、…悪霊を追い払いなさい。ただで受けのだから、ただで与えなさい。」
マタイによる福音書 第10章8節
受難節に入り、十字架を目指して進まれる主イエス様のお姿をたどって礼拝してまいりました。マタイによる福音書第10章は12弟子を選び、主イエス様が宣教に遣わされる話が出てきます。受難とは直接関係ありません。福音書の記述の順番からみれば、はじめに戻ってしまうのです。
しかし、この箇所は主イエス様が与えてくださる〝救い〟について重要な側面を語っています。病気と死の苦しみにある人を解放する権能を弟子たちに授けられました。しかし、主イエス様はエルサレムで処刑されてしいまします。するとそれまで苦労して行ってきた宣教や奇跡などはすべて水の泡になってしまったのでしょうか。
そんなことはありません。重い皮膚病の人が清くされ、悪霊が追い出されるのは十字架によってすべての人の罪が赦される前触れなのです。表面からだけ軽々しく判断し、“癒しは良いしるし、十字架は忌まわしいしるし”と決めつけてはなりません。
この救いに対して、その価値と釣り合いのとれるお返しをわたしたちは神様に差し上げることはできません。一方的にいただく以外にないのです。またその価値をこの世の金銀など貨幣で換算もできません。傷のない主イエス様の命がささげられました。それを“ただで受けた”と言っているのです。粗品であれば、無料で配られることもあるでしょう。しかし、救いはとても高価です。いただいても〝それ相応の見返り、報い〟などできるはずがありません。わたしたちは「ただで受けるだけ」なのです。