「柔和の力」
政所 邦明 牧師
マタイによる福音書 第5章5節
主題聖句: 「柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。」
マタイによる福音書 第5章5節
〝柔和〟な人といえば、おとなしく、やさしい人を思い浮かべます。古代のギリシャ哲学者によれば、 “怒らないといけない時には、正しく怒り、怒る必要のない時には、間違って怒らない”…それが〝柔和〟だそうです。つまり弱々しいのではなく、体に筋が一本通っています。しなやかでありつつ、したたかな強さも兼ねそなえた徳目を〝柔和〟に見ているのです。
それに対し、旧約聖書の〝柔和〟は逆境の中で、苦難に耐え、神様の助けを待ち望む信仰の姿勢を意味してきました。この信仰の伝統を受け継いだ形で「柔和な人々は幸いである」と主イエスが祝福を告げられたのです。
マタイによる福音書では、あと2回、柔和が用いられます。「すべて重荷を負って苦労している人はわたしのもとに来なさい」と言われた主イエス様がご自分を“柔和で謙遜な者”と言われました。(11:29)また、エルサレムにロバに乗って入られます。それは〝柔和な王〟として来られる預言の成就だというのです。(21:5)ふたつとも、主イエス様を指しています。
重荷を負い、苦労している者にやすらぎを与えられます。また、力ではなく、やさしさをもって支配される王の姿を示してくださいました。徹底してへりくだり、力を捨てられる神の独り子を、人々は力をもって、十字架の上で殺してしまいます。その主イエス様を神様は復活させられます。復活は神の優しさが人の暴力に勝つ証なのです。
柔和は、わたしたちの心が広いか、狭いか度量の問題ではありません。神様の優しさにいっさいをかけるかどうかの信仰の問題なのです。