2015年12月20日 礼拝説教要旨

主イエス・キリストの誕生

政所 邦明 牧師

ルカによる福音書 第2章1-20節

 主題聖句:「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」    

ルカによる福音書第2章11

 

                                   

救い主がベツレヘムでお生まれになった時、ユダヤの国の人々は夜の静寂の中で眠りについていました。キリスト様の誕生を知らされ、出会ったのは夜通し羊の番をしていた羊飼いたちです。それに飼い葉桶の周りに集まったごく限られた人も加わります。ローマ皇帝に皇子が生まれたなら、国中にお触れを出して、お祝いの行事を行ったことでしょう。

 

それに比べ、真の救い主の誕生をほとんどの人が知らないのは、寂しい気がします。しかし、これこそが実はふさわしい知らされ方だったのです。

 

羊飼いたちは、人口調査の対象から外されていたのでしょうか。人々が先祖の出身地に帰って登録をしている間も、徹夜をして働いています。納税の義務も政府から期待されてはおりません。しかし、過酷な労働には従事しています。羊飼いたちにとって〝救い〟とは、きつい仕事から解放され、収入が増え、社会の一員と認められるようになることでしょうか?

 

もちろん、外側の暮らし向きが良くなるに越したことはありません。でも、1つ良くなれば、別の不満が生まれてくることもあります。生活を改善してくれるだけの政治的指導者が〝救い主〟ではないのです。人の問題は精神や心の問題も含みます。しかし、内面の問題はその人だけが悩み、努力すれば乗り越えられる訳ではありません。いや人間だけでは解決せず、神様に持ってゆく以外にないはずです。神様と関わる人間の一番深い問題を救うために、人間の眠っている間に、神様は働いておられました。それが、救い主の誕生が世間の目から隠されているようにみえる理由なのです。

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