子供を祝福する
政所 邦明 牧師
マルコによる福音書 第10章17-31節
主題聖句:「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
マルコによる福音書第10章15節
〝子供!〟と聞くと何を連想されるでしょうか。無邪気、純真、素直などでしょうか。確かに一面、当たっています。しかし、未熟で、わがまま、感情の赴くままに行動する面も子供は持っています。聖書では、無条件に子供をほめたたえてはおりません。旧約聖書でも、また新約聖書でも子供は教えられ、しつけを必要とする未熟な存在なのです。
だとすれば、「子供のように神の国を受け入れる」とは「疑いもなく、素直に神の国を受け入れる」意味にかならずしもならないのです。子供は自活できず、ほかの人から助けを受けなければ生きていけません。“神の国を受け入れる”とは信仰に関することです。「素直に、信じる」以外を考えてみる必要があります。〝子供〟から喩えの意味を引き出すとするなら、おそらく、無力で、〝小さい〟側面でしょう。造られたけれども罪を犯し、神様から離れたために、私たち人間は無力なのです。救われるために無力なのは大人であろうと子供であろうと人間は同じです。ただ、大人よりも子供の方が〝力の無さ〟をよりはっきり示すにすぎません。救いのために無力であれば、どうしても謙遜にならざるを得なくなるでしょう。救いを求めようとすれば、与える人に向って、空っぽの手を差し出す以外にありません。まるで物貰いだと言った人があります。
神の国は、神様がすでにお造りになったのです。人間が造れるものではありません。また招待されなければ、入れません。神様が許可されてはじめて入れてもらえます。私たちはまったく受け身なのです。