開けよ
政所 邦明 牧師
マルコによる福音書 第7章31-37節
主題聖句:「…たちまち 耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話すことができるようになった。」
マルコによる福音書第7章35節
人の話しを聞いていない人がいます。音声としては耳に届いているのでしょう。しかし、相手に心を閉ざし聞く耳をもたないと、そうなります。面白いもので、人が自分のことを褒めてくれる話なら、喜んで聞き耳を立てます。逆に悪口を言われていると感じると、すぐに、耳を塞ぎます。自分の悪口ではなく、人の悪口だとわかると、喜んで聞きたがるでしょう。つまり、自分の都合次第なのです。身勝手と言われても仕方ありません。
人に対する態度がこうなのですから、素直に心を開いて、神様からの語りかけを聞くことなどできるはずがありません。罪はこのようにわたしたちの聞く力にまで染み込んでいます。
自分は口が重く、しゃべりは上手でないと思っていても、自慢話になると、とたんに饒舌になります。誰でもそうです。そのくせ、神様をほめたたえたり、感謝をささげたりはいたしません。魂だけではなく、体の各部分、すなわち耳も、舌も、唇もすべて主イエス・キリスト様によって救われなければならないのです。指を両耳に差し入れ、ご自分の唾を人の舌につけ、癒やしを行われる前に天を仰ぎ、主イエスは、深く嘆息されました。 (34節)その人をまるごと救うために、主イエス様はものすごい力をお使いになります。そのお姿から、これから向かってゆかれる十字架を連想します。救いの業はイエス様にとっても、生易しいことではありません。
いやされた人は口止めされたにも拘わらず、自分の経験を語らないわけにはいきませんでした。解き放たれた舌は神を褒めざるをえないのです。