主イエスの自覚
政所 邦明 牧師
マタイによる福音書 第11章25-30節
主題聖句: 「…父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知るものはいません。…」
マタイ福音書第11章27節
上記のみ言葉に続く「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(28節)は多くの教会の看板に書いてあります。信仰に招くのにふさわしいとそれぞれの教会が判断されているのでしょう。これまで多くの信仰者を力づけてきた事実が、このみ言葉にはあるのです。「主イエス様のもとにゆき、自分の重荷を降ろしても大丈夫!」との招きの声を私たちはかけられています。しかし、その前後で安心してお任せしても良いと確信できる言葉を語っておられるはずです。そうでなければ、私たちの重荷をこの御方に任せきることはできません。
25節以下で主イエス様は父なる神様に祈っておられます。この後の数節の短い中に①父なる神様への呼びかけや、②イエス様と父なる神様との関係が繰り返し出てきます。父なる神様とその独り子でいらっしゃるイエス様との間には、切っても切れない深くて強い結びつきがあるのです。どのようなものも、その間柄を引き離すことはできません。
父なる神様がお示しになることに対して「そうです、父よ、これは御心に適うことでした。」(26節)と全面的に同意されました。単なる同意ではなく、父なる神様をほめたたえておられます。独り子としての明確な自覚です。「わたしたちもまたイエス様と同じように父なる神様を『天のお父様!』と呼びかけ、祈るように」と主は促してくださいました。父なる神様は、イエス様をしっかりと支えておられるはずです。だからこそ「あなたのすべての重荷を私に委ねなさい」と確信をもって主は言われるのです。