ここは神の家
政所 邦明 牧師
創世記 第28章10-17節
主題聖句:「…ここはなんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」
創世記第25章23節
生まれた時を起点し、死ぬ時を終点とします。「その2点に挟まれた線分(数学用語)が自分に与えられた人生である」としましょう。人生の中でも進学、就職、結婚など一般に重要であるとされる時があります。そのような節目、節目に、神の御心を尋ね、過ちに気づかされたら、悔い改め、その後、感謝をささげて、もう一度出発できたらどれほど幸いでしょうか。重要と思われる時は、とりわけ神と祈りにおいて格闘するものです。
人生を左右する分け目の時だけとは限りません。「キリスト者の生涯は毎日が悔い改めである」とルターは言いました。起床から就寝まで、場合によれば寝ている間も、祈る生活であればこれほどの幸いはありません。
「ズルい」ことをして、そのまま家庭に居続けることができなくなったので、母方の伯父のもとへヤコブは逃れます。途中、野宿することになりました。兄エサウと父イサクを騙し、長子の権利と神の祝福を奪い取ったヤコブです。〝してやったり〟と、ほくそ笑んでばかりいたのでしょうか。そうでもないでしょう。親子、兄弟の関係は崩れてしまいました。悔やんでもいたはずです。ヤコブは夢を見ます。天に階段があり、天使が上がったり下りたりしていました。ヤコブにみ言葉を運んでいたのです。御心を告げようとしたのでしょう。ヤコブにとって、そここそが礼拝する場所でした。よく朝、目が覚めたヤコブは、神がこの場におられることを知ります。居住まいを正し、記念碑を立て、礼拝して、出発の起点としたのです。