政所 邦明 牧師
わが主よ わが神よ
イザヤ書 第25章6-9節
ヨハネによる福音書 第20章28節
主題聖句:「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」
ヨハネによる福音書 第20章29節
仲間の弟子たちにトマスは言いました。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(25節)原文では「この私の指を」「この私の手を」となっていて、「私の」がしつこく繰り返されています。自分で確かめてみたいというのです。さらに、「あの方」と主イエスのことを呼んでいます。これも他人行儀な言い方です。数年間そば近くにいて導かれた恩義はどこに行ったのでしょうか。見て、触れて、確かめなければ絶対に信じないと強く心に誓っている感じです。どうしてそこまで意固地になるのでしょう。
8日前の復活日、弟子たちに主イエス・キリストが現れなさった時、何かの都合でトマスはその場に居合わせませんでした。自分だけが置いてきぼりを食ったように感じたのかもしれません。不安と怖れとは人の心を頑なにします。ところが8日経過して、ほかの弟子たちと一緒にトマスにも復活の主は現れてくださいました。「あの方」と言っていたトマスが「わたしの主、わたしの神よ」と賛美を込めて信仰を言表します。イエス様との距離がグーンと近づいています。変化をもたらした大きな出来事があったはずです。
弟子たちの心を支配していたのは人への恐れです。(19節)霧を吹き払うように恐れから解放するのは「平和があるように」と言って近づいてくださるイエス・キリストの力によるのです。この時には、〝見る〟とか〝指を入れる〟などには、もはやトマスはこだわらなくなっていました。見ないで信じる信仰に導かれつつあるからです。その信仰を幸いだと主は言われます。