おびえるな
政所 邦明 牧師
サムエル記上 第16章14-23節
ヨハネによる福音書 第14章25-27節
中心聖句:「神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルの心が休まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。」
(サムエル記上 第16章23節)
「自分の蒔いたことは自分で刈り取らねばならない」と聖書にあります。サウルは自分の利得に走ったために、王位から滑り落ちることになります。今しばらくは王として振る舞うでしょうが、後は時間の問題です。神の前にはすでに決着がついてしまいました。
「主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。」…サウルの惨めな有り様がそのように表現されています。王位を失う悔しさ、失いたくないと執着する心がサウルを苦しめたのでしょう。
「悪霊を神が送られるはずはない」と常識的にわたしたちは考えます。その意味はおそらくこうでしょう。サウルは自分の犯した罪の報いを骨身に染みて味わっています。神はそれをお許しになるのです。苦しみを通して、罪を認め、赦しを神に求めるようになるかもしれません。苦悩は悔い改めの契機にもなります。悔い改めるかどうかは、サウルにかかっているのです。
旧約聖書のヨブ記にはサタンがヨブを“ふるいにかける”ことを神が許された(第1章12節)とあります。攻撃に曝されても、悪霊もまた神のご支配のうちにあります。苦しみの時も決して神はお見捨てになりません。
サウルのもとにダビデが連れて来られます。ダビデは優れた賛美歌作者です。ダビデの作と言われるものが詩編にたくさん収められています。悪霊に襲われるとき、ダビデの詩がサウルの心を神に向かわせます。悪霊は神に決して勝てません。そのことをダビデの賛美歌はサウルに教えたのです。