「 シメオンの歌 」
政所邦明 牧師
ルカによる福音書 第2章22-35節
主題聖句:「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。」
ルカによる福音書 第2章39節
主イエス・キリストがお生まれになって40日目のことです。生まれた長男を神にささげるためにマリアとヨセフとは幼子をエルサレムの神殿に連れてゆきます。「当時の慣習に従っただけだ」と言えばそれまでです。しかし、初子は本来神のもので、「この子をあなたのご自由に使ってください」と神に申し上げたのです。これはイエス・キリストの場合は特別な意味を持ちました。神殿に連れてゆくとは、すべての人の罪を償う“いけにえ”として 神に献げることを意味します。実際には30年後の十字架において実現します。しかし、マリアとヨセフとはその事がどれだけわかって神殿詣をしたのでしょうか。おそらく十分には理解できていなかったはずです。
この赤ちゃんの行く末、担うべき使命を鋭く見抜いている人がいました。シメオンです。神の遣わされるキリスト(救い主)にお目にかかるまではけっして死なない。必ず生きている間に、救い主にお目にかかれるとの示し(お告げ)を受けておりました。シメオンは“霊”に導かれて 神殿に入ってきました。神の“霊”が初めから終わりまでシメオンと救い主イエス・キリストとの出会いを導きます。シメオンは“霊”によってこの赤ちゃんの先の先まで見せていただいたのでしょう。母マリアは将来悲しみのため、胸が張り裂けそうになる経験をすることになります。自分の醜さも含めた全人類の罪をこの赤子は担って救ってくださるとシメオンは見抜くことができたのでしょう。だからこそ、「キリストに出会った今こそ安らかに死ぬことができる」と言いました。その感謝を讃美歌にし、神をほめたたえたのです。