2023年9月17日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.38  生き生きとした希望

 神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、                 

                            ペトロの手紙 第1章3節

 

今朝、召天者記念礼拝を持っています。会堂の北側に先に天に召された信仰の先輩方のお写真が掲示されています。お写真をご覧になって、生前、一緒に過ごした日々を思い出し、懐かしく感じておられることでしょう。その方々と親しく話し合い、その声を聞きたいのですが、それは叶いません。でも、できることとして、愛する信仰の先輩方が、在りし日に、教会に行くことを大事にして過ごされたことを思い、彼らが、苦難の中にも希望を抱いて過ごされたことを覚えて、心を新たにしたいと思います。

今日の聖書箇所で著者ペトロは、神様から自分たちに生き生きとした希望が与えられたことを感謝しています。自分たちは神から離れて罪深い者であったけれども、神の豊かな憐みによって、救い出して頂いたのです。神の憐みは、神の御子イエス・キリストを私たちの罪の代わりに十字架にかけて裁かれ、死んでしまったこのお方を、神は死より復活させられたことにあらわされました。キリストの復活を自分のためと信じる者は、その復活にあずかって生きる希望を持つことができるのです。死では終わらない希望です。新しく生まれ、神と共に生きる希望です。この生きる希望を私たちも頂きたいものです。

2023年9月10日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.37  働き人を送ってください

 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

マタイによる福音書 第9章36節

 

主イエスは伝道旅行の中で、群衆の苦しんでいる状態を見ておられました。彼らの姿が「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」状態であるのを見られたのです。これは当時の人々の霊的な状態でした。羊飼いのいない羊のように、人々は頼るべき方を見失い、どこに向かうべきかを迷っていたのです。

主イエスはこのような人々を見て、深く憐れまれたのです。弱り果て打ちひしがれている人たちを深く愛されたのです。主イエスは人々の内面を、心の中をご覧になり、問題を抱えている人を深く愛してくださり、彼らを神の国の教えを宣べ伝え、いやしの御業をなさいました。

主イエスは、弱り果て打ちひしがれている彼らを深く憐み、彼らを見て「収穫は多い」と言われました。主イエスの目から見て、彼らが真の羊飼いを持たないための困難が大きく、救いを必要としている人が多いのだと、言われるのです。その彼らを、神は「収穫の主」として、救いに導いてくださるのです。この神の愛を伝え、主イエスのもとに人を導く働き人が必要だと、主イエスは言われます。働き人が少ないからです。その働き人を送ってくださるように、神に祈りなさいと、主イエスは言われます。私たちは、働き人が与えられることを祈りましょう。

2023年9月3日 礼拝説教要旨

きょうどう-2023年 No.36  できると信じるのか

  イエスが家に入ると、盲人たちがそばに寄って来たので、「わたしにできると信じるのか」と言われた。二人は、「はい、主よ」と言った。          

                          マタイによる福音書 第9章28節

 

イエスとはどんなお方でしょうか。当時の人々は、イエスをどのように見ていたのでしょうか。

二人の盲人が、イエスが自分たちの近くを通りかかったと聞いて、大声で叫んで「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらイエスについて来たのです。周りに多くの人は取り巻いてにぎやかだったのでしょう。そんな状況で、イエスに目を留めてもらおうと大声を出して呼びかけたのです。「ダビデの子」。当時のユダヤ人はダビデ王の家系から解放者が出るとの約束を信じて現れを待っていました。この盲人たちは、イエスこそ、来るべきメシア・まことの救い主だと信じて叫んだのです。神の憐みを自分たちに注いでくださいと求めたのです。大声を出しながらイエスの後についていきました。

イエスはすぐには応えられません。イエスは何も応えられないまま、家の中に入られました。この二人はあきらめないで、イエスのそばに行きました。イエスは「わたしにできると信じるのか」と問われました。彼らに信仰を問われたのです。その問いに彼らは「はい、主よ」と答え、イエスを神の救い主と信じ、イエスが自分たちを救うことができると信じたのです。その信仰のとおりに目が見えるようになったのです。た